2015年8月10日月曜日

訂正します。

(今日は思いっきり内面のことを書きます。興味のない方は飛ばしてください。)

先日、Facebookにアップしたこの投稿。

自分で綴ってみたものの、しっくりこなかったので、ちょっと追求してみることにした。

「"与え"られる人になりたい」だなんておこがましい言い方かもしれない。

周りの"人"が与えてくれたと思ったチャンスだって、もしかすると、
"神様"(←いるとすれば)が、私の周りの"人"を媒介してチャンスを与えてくれたのかもしれない。

そういうふうに考えると、周りにいてくれる"人"には関わってくれたこと自体に感謝が向いて、"してくれたこと"そのものへの感謝と捉えていたのが、もう一段奥の感覚に変わってくる。


そして、私も「"与え"られる人になりたい」だなんておこがましい考え方をせず、
ただまずは自分自身を生きるということに身を任せて、
でも神様が私を使って誰かにチャンスや幸せや救いを与えたいとき役に立てるよう、スタンバイしていたい、という感じがしっくりくる。


そのためには、自分自身をなるべくいつも良い状態にメンテナンスしておきたい。
無理なく、等身大の自分自身を生かすこと。そして流れに身を任せて、目の前で起こることを受け入れること。


そんなことを考えたりするようになったのは、ほんとここ最近で、32歳はその感覚を自分にフィットさせられたらなと思います。



これは私の人生のテーマ(みたいになってきてる)「ひかりの子らしくあるきなさい」の新解釈でもあるかもな。自分らしく生きていれば誰かの足元を照らせるあかりになれるかもしれない。そんなひかりの子の在り方。



毎度のことながら、頭ん中に沸いて漂っている思想を言葉に落とし込むのに時間がかかる。
じっくり考えないと言葉にできないし真面目(たぶん)で頭のカタイ(ぜったい)私。
でもその作業は楽しくて、こうやって人に読ませる必要はないんだろうけど、やっぱりじっくり紡ぎ出した言葉は、表現してみたくなってしまうのです。口で話すのは下手だからなぁ。



さて、32歳はどんな一年になるかな。
      〜贈り物のふたを開けるみたいにわくわくするわ(魔女の宅急便のキキの言葉)〜
そんな心境の32歳3日目。